【サンラインエリアの地名①】軽井沢の地名の由来には外国の風&由緒正しき馬が関係していた!?

コラム 2021.06.18

とても身近だけれど、普段あまり意識しないことが多い地名。車を走らせていて、歩いていて、信号や電信柱などに地名が書いてあるにも関わらず、何気なくサラサラっと読み、気に留めない人も多いのではないでしょうか。

でも、ちょっと待った! 実は意外と奥深いものが潜んでいるかも!? ということで、サンラインエリアの地名を取り上げるこのシリーズ。記念すべき第1回目は、知名度バツグンの軽井沢。みなさんもご一緒に、秘められた由来を探る旅に出掛けましょう!

軽井沢は「かるいざわ」? 「かるいさわ」?

質問です! みなさんは軽井沢をなんと読みますか? かるいざわ?それともかるいさわ サンライン編集部でもざ派さ派に分かれているのが現状。

編集部A「私は上田生まれの上田育ちだけれど、昔っからなんの違和感もなく家族揃ってかるいさわ。でも、東京の人に『えっ!?』って言われて、こっちが『えっ?』って言っちゃいました」

編集部B「祖父がかるいさわと言います。あれ、私が間違っているんでしょうか?」

実はこれには軽井沢の歴史が関わっているのです!

古くから軽井沢という集落は存在していたようですが、江戸時代に五街道のひとつである中山道の宿場のひとつとして軽井沢宿が設置され、その後、大正時代には東長倉村が町制を施行、軽井沢町が誕生しました。このころは従来からの発音であるかるいさわと言われていたようです。

※写真はイメージです

江戸時代は宿場町として栄えた軽井沢でしたが、明治維新が起こり、交通事情の変化とともに、街道を往来する人が減り、繁栄はすっかり影を潜めることになります。しかし、英国聖公会宣教師のカナダ人、A.C.ショーが布教の帰途に軽井沢に立ち寄った際、故郷カナダ・トロントに似た風景や気候などに注目。これをきっかけに、他の宣教師たちも訪れるようになり、避暑地としての地位を確立していくのです。

ところが…

「KARUIZ…KARUIS…KARUISA…」

宣教師をはじめとした外国人にはKARUISAWAが発音しにくい問題が発生!? 日本語ネイティブにはよくわからないのですが、とっても言いにくいのだそう。そこからは自然の流れで、発音しやすいから「かるいざわ」へと変化していったというのです。

今では、軽井沢町のホームページにもしっかりTown of Karuizawaと、北陸新幹線やしなの鉄道の軽井沢駅の駅名標にもばっちりとKARUIZAWAと表記されています。サンラインエリア内ではこのエリア出身のある程度年齢を重ねた人はかるいさわと読むことが多い一方、若い世代はかるいざわと言う人が多いようです。令和の今は、完全にかるいざわですね。We love KARUIZAWA!

【参考】
軽井沢観光協会『軽井沢を知る
軽井沢町『公式ホームページ

「軽井沢」「旧軽井沢」何が違う?そもそも「旧」って何?

軽井沢にも数多くの土地があれど、多くの人がこの画を思い浮かべるのではないでしょうか。

軽井沢駅から北上し、土産物店やレストランが並ぶ界隈。ここは旧軽井沢と呼ばれています。正式な地名ではなく、いわゆる汎称地名。略して旧軽とも言います。でも、ひとつ疑問が…。旧って何?。 旧があるってことは新軽井沢もあるのでしょうか?

前述の通り、宣教師たちが訪れることにより発展していった軽井沢。明治中旬から、鉄道が整備され、新潟県直江津や東京と鉄道で結ばれるようになると、軽井沢駅周辺が発展し、次第に軽井沢駅周辺が新軽井沢と呼ばれるようになりました。それにに対して軽井沢宿だった周辺が旧軽井沢と呼ばれるように。

旧軽井沢に比べてちょっぴり知名度が低いと思われる新軽井沢ですが、軽井沢駅の北口を出て国道18号線を西に進むと、信号機の表示に掲げられた新軽井沢を確認することができます。

あってひと安心です! ちなみに、昔は旧軽井沢駅もありました。それは、軽井沢とお隣群馬県草津温泉間を結んでいた「草軽電気鉄道(廃線)」の駅のひとつです。

【参考】
信濃毎日新聞社発行、長野県地理学会編 『地形図でたどる長野県の100年』

軽井沢で「馬」発見! それは古(いにしえ)からのメッセージ

さてお次は、軽井沢町役場がある辺りを見てみましょう。この辺りは長倉と呼ばれています。この長倉には、実に長い歴史があり、平安時代中期に編纂された延喜式にもその名が登場します。信濃国(今の長野県)には、御牧(古代の朝廷の直轄牧場)が16牧あり、そのうちのひとつが長倉牧

※写真はイメージです

その頃から、この地は長倉と呼ばれてたというのですから、悠久の歴史がありますね。それにしても、朝廷の直轄牧場って、なんて由緒正しき場所なのでしょう!

ふと気がつくと、軽井沢にがつく地名がちらほらと。南軽井沢の馬越・馬取などなど…。

また江戸時代、浅間山麓である軽井沢には追分・沓掛・軽井沢の3つの宿場があり、今の中軽井沢駅辺りが沓掛宿でした。中軽井沢駅は、1956年までは沓掛駅という名前でした。駅名が変わった今でも、その名を掲げた宿泊施設やお店があります。また、沓掛の語源は、昔の旅人が草鞋(わらじ)や馬の沓(履物、蹄鉄)をささげて神様に旅の平穏を祈ったことに由来するそう。ここにも、出てきまたね、馬!

【参考】
公益財団法人 八十二文化財団『長倉の牧(牧堤跡

平安から江戸・明治を経て…「軽井沢」に歴史あり!

軽井沢の地名、いかがでしたでしょうか? ちなみに、このサンラインのサイト名の由来となった、広域農道浅間サンラインの出発点の辺りは、追分という地名になっています。追分という地名は全国各地にありますが、追分とは広辞苑によると道の左右に分かれる所。分岐点。なるほど、確かにこの場所は信濃追分と呼ばれ、中山道と北国街道の分岐点となっています。

こうして、ひとつひとつ調べると、過去から連綿と続く歴史があるのですね。地元の人はもちろん、観光客も、軽井沢を歩いたりドライブする際は、昔から受け継がれた地名に思いを馳せてみるというのも一興ではないでしょうか。 きっとそこから新しい楽しみが広がるはずです!