農業と〇〇。2つのビジネスをどう両立させている? サンラインエリアの半農半Xな人を紹介!

コラム 2022.11.30

全国で最も農家数が多い長野県。農業のみを仕事にする専業農家、農業以外の収入を持つ兼業農家、家族が食べる分だけ作る自給農家など、さまざまな形態で農業と関わっている人がいます。今回の記事では、東信地域(通称サンラインエリア)で半農半Xという形で農業に携わっている人を取材しました。半農半Xとは何か、どういったきっかけで半農半Xを始めたのか、実際の生活はどうか、リアルな声を聞いてみます。

コロナ禍で、改めて注目を集め始めている半農半X

半農半Xとは、半分農業、半分他の仕事(X)をして生きることをあらわす言葉。自給農をしながら、自分の好きな仕事・やりたい仕事をして生活をするという意味です。京都在住の塩見直樹氏が、1995年に著書『半農半Xという生き方』で提唱した考え方だと言われています。コロナ禍で生活スタイルを見直す人が増えている中で、再度注目を集め始めました。

こういった流れを受け、国や行政でも積極的に半農半Xを推奨し始めているようです。2021年6月、農林水産省の「新しい農村政策の在り方に関する検討会」が発表した中間とりまとめでも、「半農半Xやマルチワークのような多様な働き方への支援」についても言及されました。

都心よりも密度が低い地方へ移住し、農業で暮らしを豊かにしつつ、他の仕事でも収入を得る。こうしたライフスタイルを選ぶ人は、今後も増えていきそうです。それでは、サンラインエリアで実際に半農半Xな暮らしをしている2人を紹介します。

両方の仕事をほどよいバランスで並行できている~農業×政策アドバイザー 在賀耕平さん~

最初に紹介するのは、佐久穂町で農場Golden Greenを営んでいる在賀耕平さん。2008年に東京から佐久穂町へ移住し農業を始めた後、2016年から佐久穂町の政策アドバイザーを務めています。

競争ゲームよりも幸せかどうかを主軸に。農業に転職した理由

ーー佐久穂町で農業を始めようと思ったきっかけを教えてください。

在賀:ここに来る前は、東京でIT系のベンチャー企業でコンサルタントをしており、上場も経験するなど、ビジネスの世界で競争ゲームの中に身を置いていました。でもあるとき、ふと疑問を感じるようになったんです。このまま頑張れば、車のグレードがアップしたり、マンションの高層階に住めるようになったりと、よりラグジュアリーな生活ができるかもしれない。それはゲームとしておもしろいのかもしれないけれども、果たして幸せなのだろうかと。パートナーとのこの先の人生を考えたとき、幸福であることを大切にしてみたいと思ったんです。

ーーそこで選ばれたのが農業だったのですね?

在賀:未来を見据えたときに生き抜く力が必要だと考え…。思いついたのが農業だったんです。これまでの人生で一度も農業経験はなかったですし、IT系ベンチャーのコンサルからは一番遠い職業ではあるだろうと自覚はしていました。しかし、事前の情報収集と、これまで培ってきた人脈などから、感覚だけでなくロジックで結構いけるかもしれないと思っちゃったんです。

在賀:佐久穂町で農場を経営しているのらくら農場の萩原さんの元で1年間学び、独立。夫婦でGolden Greenを立ち上げます。無農薬・有機肥料で年間約60種の野菜を栽培しており、個人宅を中心に旬の野菜セットを定期便で届けています。

半Xを始めたのは、夫婦の作業体制上の問題!?

ーー農業の傍ら、佐久穂町で政策アドバイザーを務めることに至った経緯を教えていただけますか?

在賀:その話をするためには、うちの作業体制の話が欠かせません。私たちは毎年200軒ほどの個人宅に野菜セットを届けています(2022年は216軒)。初年度は100軒ほどだったのが、毎年20件ずつ増え、5年目以降はあまり増えすぎないように調整をかけています。

ーー受注が増えるのはよいことのようですが…。調整をかける理由があるのですか?

在賀:うちは夫婦で切り盛りしていまして、それぞれの特性を活かしながら完全分業制で仕事をしています。私が野菜の生産、妻が顧客向けサービスの担当です。私は、最初の頃こそ生産効率が悪く一日中動き回っていましたが、徐々に慣れていき生産も安定してきました。妻は、顧客一人ひとりの好みに合わせて野菜セットを作り、お礼の言葉を手書きで添えて、発送しています。

ーーなるほど! 野菜の生産においては少しずつ効率化が進むけれども、顧客一人ひとりに向けた丁寧なサービススタイルは、受注の上限が発生する。そのためこれ以上増えないように調整されているのですね。

在賀:そうなんです。妻が今のクオリティを維持するためには、現在の出荷量が限界だと判断しました。私に生まれた余白を何に使っていくかと考えたとき、農場の生産体制を伸ばして行く方向ではなくて、他の領域で仕事をしてみようとなったのです。

農家の代表から、町の政策アドバイザーに

ーーなぜ町役場で仕事をすることになったのか、教えてください。

在賀:2015年に佐久穂町が「コミュニティ創生戦略(まち・ひと・しごと創生総合戦略)」を立案する際、多様な視点で議論が行われるよう、私は農家を代表して会議に参加しました。前職ではコンサルタントをしていたので、戦略を考えること、情報を調査して精査することは得意なスキルでもありましたし、好きなことでもありました。会議をきっかけに、2016年から業務委託として政策アドバイザーの任命を受け、現在は各種計画の立案やDX推進などを主に担当しています。

ーー半農半官ですね。2つの仕事をどのような形で進めているのですか?

在賀:午前中は畑で農業をし、午後は役場にいってアドバイザーとしての仕事をする、といった感じでやっています。よく、「違う領域の仕事を進めていて混乱しないか?」と聞かれますが、私の場合悪く影響しあうことはまったくないですね。頭の中ですべてのタスクが並列していて、全体の中から優先順位をつけて仕事をこなしていくという状態なので、頭を切り替えるという感覚とは違います。

ーー半農半Xを始めて、何か変わったことはありますか?

在賀:体を動かす仕事頭を使う仕事、ちょうどよいバランスで働けています。考えに行き詰ったら肉体労働をするなどして、リフレッシュができるんですよ。あとは、町を見る視点も変わってきたように感じます。

ーー在賀さんは東京から移住をされていますし、「町」や「地元」といったコミュニティに対する考えにも変化があったのではないでしょうか?

在賀:千葉で育ち、東京で長く生活していたため、地元への愛着といったものは希薄だったと思います。佐久穂に来て、ここで暮らすみなさんの様子から地域愛とはこういうものなのかと知りました。特に、自治会で役を担当したり、冠婚葬祭の場に呼ばれたりといった経験から、「私たちもこの地域の住人になってきているのだな」と実感するようになりましたね。

そうした気づきを経て、今では役場の仕事をしているので、「町」という単位で物事を見られるようになりました。

ーー今後もどのような形で半農半Xを進めていこうと考えていますか?

在賀:引き続き農業を主軸に置きつつ、私自身もさらに新しいことに挑戦していきたいですね。町の政策アドバイザーとしては、本当にやりたいことの10分の1ぐらいしかできていないと思っています。さらなる改革を進めていきつつ、町民一人ひとりの幸せと、多くのチャレンジが生まれる場所にしたいなと考えます。

仕事の進め方がまったく違うものだからこそ掛け合わせがおもしろい~農業×エンジニア 谷口絵美さん

次は、佐久市在住の谷口絵美さんを紹介します。東京の会社でエンジニアをしていた谷口さんは、佐久との2拠点居住を経て、2020年に完全移住。移住後ITと農業を組み合わせた事業を展開する、株式会社ノイエを設立します。

おためし移住で祖父母ゆかりの佐久市へ

ーー佐久市への移住のきっかけを教えてください。

谷口:これまでは東京を拠点に、WebサイトやECサイトなどのシステム開発や、コンサルティング業務などを行っていました。祖父母の家が佐久だったので、長野県には小さい頃からよく来ていたんです。大人になってからは登山をするようになり、さらに来る機会が増えました。そんなあるとき、おためしナガノという企画を知りました。

ーーおためしナガノは、IT関連の仕事をしている人を対象としたプロジェクトですね。長野県に「おためし」で住んでみて、本格的な居住や拠点の設置を検討してもらおうというもの。

谷口:完全移住する前に半年間おためしができちゃう。さらに魅力的なのは引越し代、県外への業務上の交通費などの補助が出るところです。「交通費がでるならいいじゃん!」と勢いで応募。平日は東京のマンションで過ごして、週末に長野に行く生活を半年間続けました。

谷口:おためしナガノが終了する頃の2020年の春、新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言が発令され、拠点の行き来が難しくなりました。東京へ戻らず、3カ月間ここでの生活を続けてみたんです。

しばらく住んでみると、佐久での生活がすごく快適で! 東京にいなくてもWebエンジニアの仕事は十分できるとわかりましたし、佐久の仲間たちとさまざまなプロジェクトも生まれ始めていました。「佐久にいる時間をもっと増やしたい」という思いから、完全移住を決めました。

農業ビジネスを立ち上げたきっかけは、祖父母が残してくれた竹林!?

ーー農業には昔から興味があったのですか?

谷口:昔から植物を育てることは好きでした。でもビジネスを始めようと思ったきっかけは、かなり現実的な課題感があったためです。実は、祖父母が残してくれた畑があるんですけど、使われていない間に竹が生えて、広がっていき…。いわゆる放置竹林となってしまったんです。放置竹林は他の樹木の生育に悪影響を及ぼしたり、がけ崩れの危険性を高めるなど、さまざまな問題を引き起こすと知り、なんとかしたいと思ったのが始まりでした。

谷口:佐久市のコワーキングスペース「ワークテラス佐久」を拠点に、農業仲間とともに放置竹林を解決するための竹パウダー作りプロジェクト「millplot」をスタートさせました。竹チッパーという竹を細かく粉砕する機械でパウダー状にし、土壌改良剤として利用します。竹の需要減少と地主の高齢化に伴い放置竹林は増加し続けているので、竹パウダーが有効な解決策になるといいなと考えています。2021年度長野県ソーシャルビジネス創業支援金の採択事業にもなりました。

ーー竹の新たな用途となりそうですね。

谷口:他にも、地域の薬草やハーブを活用したビジネスも手がけています。長野に根付いた薬草を使った加工品を、地元の人や企業とコラボレーションして作っていきたいと考えているんです。例えばホップ。実は長野県はホップの栽培に適した土地で、私が暮らす佐久市でも50年ほど前までは「信州早生」という品種のホップを栽培していた人がいました。祖父母の畑でも昔作っていたと聞きました。

谷口:ホップと言えばビールですが、他にも実を天ぷらにして食べたり、ホップティーとして飲んだりと、いろいろな楽しみ方ができます。夏場はグリーンカーテンにもなるんですよ。多くの人に育ててもらいたいという思いから、苗を配布し育ててもらう企画も実施。薬草を使いたい人と作りたい人をつなぐハブを目指しています。

地域複業を通して見えてきた価値観の変化

ーー半農半ITをしてみて、考え方や価値観に変化はありましたか?

谷口:農業とITは、仕事の進め方が全然違うことに気づきました。エンジニアの仕事は、自分の体とPCだけでほとんどの仕事が完結します。もちろんプロジェクトの内容や人によっても異なりますが、比較的一人で黙々と仕事を進められます

しかし農業の場合、一人では思い通り仕事を進められないんです。先輩たちにいろいろと教えてもらわなければならないし、多くの人に手伝ってもらわないと時間がかかる。周りの人とコミュニケーションをとって、協力し合うことが大切なんですよね。農業を始める前は「1人で完結する仕事が楽だな」と思っていましたが、「本当はみんなでワイワイすることも好きなんだな」とわかりました。両方あることで、今はバランスがとれているなと感じています。

ーー半農半ITという生き方を通して、今後はどのように地域に関わっていきたいと考えていますか?

谷口:この地域には、関わってみたいコトがたくさんあります。そして「こんな活動ができたらおもしろそう!」と口に出すと、不思議と周りの人が協力してくれる。さらに人と人がつながって、気づいたら思い描いていたことが実現している。よいエネルギーの循環があると実感しています。おもしろいコトにチャレンジしている人たちと、積極的につながっていきたいですね。

また、2022年の夏から、地域の公営薬草園の運営に関わり始めました。薬草園では長野エリアに昔から自生する薬草だけでなく、西洋のハーブなども栽培しています。これらの植物を生かした製品づくりや、薬草園でのイベント・ワークショップなどを積極的に仕掛けていきたいと考えています。

2つ以上の仕事を並行して進める働き方をパラレルワークと言います。1つの仕事に依存しない生き方とも言えるでしょう。半分は生きる力に直結する農業を、もう半分は自分の好きや得意を活かす仕事を。豊かな自然に囲まれたサンラインエリアだからこそ、チャレンジできる働き方なのかもしれません。