編集者・飯田光平の頭のなかをのぞきたい【前編】~常に問いかけてくる「取材者」の存在~

インタビュー 2021.10.22

みなさん、こんにちは。編集長の柚木です。

浅間サンラインからは少し離れますが、群馬県の北軽井沢にやってきました。緑が豊かで、深呼吸をすると土の匂いが体いっぱいに広がります。今回なぜここまで足を運んだのかというと、株式会社バリューブックスに所属しながらフリーでも活動している編集者 飯田光平さんに会うためです。

大変個人的な話で恐縮ですが、私、飯田さんの書く記事のファンなんです…!読むたびに「なぜ好きなのか」を考えているのですが、いまいち言語化できず、「それなら直接聞いちゃえ!」と会いにきてしまいました。私が飯田さんの記事を好きな理由だけでなく、メディアに関わる者として飯田さんがどのように考え、行動しているのかについても聞いてみたいと思います。

飯田光平

編集者。古本の買取・販売を手がける株式会社バリューブックスに所属しながら、フリーとしても活動。WebメディアジモコロSuuHaaなどで執筆や編集を行う。神奈川県藤沢市生まれ。2021年5月に浅間山のふもと、群馬県北軽井沢に移住。

柚木真

株式会社はたらクリエイト取締役・デジタルマーケ/SEO/広報。Google Workspaceの正規代理店の株式会社TSクラウド代表取締役。新宿区生まれ育ち、2014年に長野県へ移住。温泉・ビール・焚き火があると昇天。https://twitter.com/Shin_Yuno

読者を楽しませたいという意識の始まり

柚木:早速ですがよろしくお願いします! 飯田さんは文章を書くこと、編集することをお仕事にされていますが、子どもの頃から文章を書くのが好きだったんですか?

飯田:好きだったかは覚えてないのですが、読者を楽しませたいという意識はあったんだと思います。小学生の頃って、本人が書きたいかどうかは別として、作文を書かされますよね。そこで自分が書いた文章に、周りの人から「おっ!」という反応がもらえるとうれしい、という気持ちはありました。

柚木:うれしい気持ち、わかります。

飯田:この前実家で、おそらく小学校2〜3年生の頃の文集を見つけたんです。「二重跳びができなくて悔しかったけれど、練習してできるようになってうれしい」というエピソード。その文章の最後に「でも、こんなにたくさん飛んで、縄跳びの縄は痛くなかったのかなぁ」と書いてあったんです。大人になって読み返すと、ピュアな気持ちで書いていた気もするし、もしかしたら「こういう落ちをつけると読者に響くんじゃないか」なんて下心もあったのかな?なんて勘繰ってしまいましたね(笑)。

柚木:そういった大人の反応を見て、子どもの頃から「文章書くのイケてるかも」という自覚はあったんですか?

飯田:うーん、どうでしょう。友達や先生が楽しんでくれたときは、自分は文章を書くのが得意なのかも知れない、と思うこともあった気がします。ただ、本を読むことも好きでしたから、身近に素晴らしい文章がたくさんあるんですよね。それと比べると、「自分が書くものなんて、まだまだなんだな」と感じてもいましたね。

柚木:飯田さんの記事を読んでいると、本とたくさん付き合ってきたんだろうなと感じます。

飯田:親が読書家だったんです。僕は3兄弟なんですが、両親は兄弟をよく図書館に連れて行ってくれました。貸し出しの上限である6冊まで借りて、それらを読み終えて、1週間後に返しに行って、また6冊借りる。その繰り返しでした。それが飯田家の常識だったので、みんなも同じようにしていると思っていました。生きていくって、そういうことなのかと……。

柚木:全然一般的ではないですね(笑)。

読書もゲームも、同じように「好き」であればいい

柚木:子どもの頃はどんな本が好きでした?

飯田:絵本、小説、漫画、なんでも好きでしたが、強いて言えば科学の本をよく読んでいた気がします。どうして世界はこうなっているのか、それを知りたいというなんで欲は強かったと思います。今見えている景色が、何かを知ることで全く違うものに見える。そういう体験がすごく好きなんですよ。

柚木:わかるなぁ。それだけ本を読む家庭だったということは、ご両親が教育熱心だったんですか?

飯田:図書館に連れて行ってくれるものの、「これを読みなさい」と言われることもなく自由にさせてくれていたので、無理やり勉強をさせられたわけではありませんでした。ただ、子どもたちによりよく学んでもらいたい、という気持ちはあったんだと思います。密かなルーツというか、実は母方の祖父が台湾人なんです。客家(ハッカ)という民族の人で。

柚木:客家というと、福建土楼が有名ですね。

写真はイメージです

飯田:独特の集合住宅ですね。客家民族は、ユダヤ民族などと共に「4大移民集団」と言われるくらい、迫害などで住む土地を変えていく民族だったらしく。そういった民族は、教育熱心になりやすいと聞いたことがあるんです。頭のなかにある知識や知恵だけは、決して奪われることがないから

柚木:なるほど。

飯田:その民族性ゆえかは分かりませんが、祖父も学ぶことに関しては積極的で。いつも「本なら好きなだけ買いなさい」と言われていました。小学生のお年玉でも、3万円を渡して「これで本を買いなさい」と。

柚木:3万円って!

飯田:小さい頃でしたので、ゲームの攻略本を買ってしまうこともありましたけどね(笑)。それでも、おかげさまで気になる本を買いあさってたっぷり読書する、という得がたい体験をさせてもらいました。

柚木:そういう影響もあって、お母さんとの週1図書館通いが生まれたんですね〜。

飯田:祖父や両親のおかげで本にあふれた生活を送れたのですが、ひとつだけ、当時から抱えている違和感はあって。今も本に関わる仕事をしていますから、読書量は平均と比べると多い方かも知れません。すると、出会った人が「いいですね。読みたいと思いつつ、あまり本を読めていなくて……」と、申し訳なさそうな顔をすることがあって。読書に対して、負い目を持つ必要はないのに。

柚木:たしかに。

飯田:逆を言えば、子どもの頃にゲームをしていると「ゲームばっかりしていないで、勉強しなさい!」と言われることがありますよね。でも、本を読んでいると何も言われない。それが不思議だったんです。僕は好きだからゲームをし、好きだから読書をしているだけで、どちらも同じだったのに。

柚木:本を読んでいるだけで、ちょっと優等生感。

飯田:「読書はどうしてこんなにも優遇されているんだろう」と、小さいころからずっと考えていましたね。

柚木:あまり特別なものとして扱ってほしくないという気持ちですか?

飯田:そんなに大層なものにつり上げなくてもいいんじゃないかな、という思いはあります。本は先人たちの知識が集約されたものですから、自然と敬意の気持ちは抱きますし、個人的には素晴らしい存在だと愛しています。ただ、「読書はすべきものである」とまで言い切るのはためらいますし、もっと気軽な存在として扱ってあげたいな、と。読書でもゲームでも野球でも、同じように好きであればいい

柚木:なるほど。でも、知的な印象ゆえに、空間に本をオブジェとして飾ることもありますよね。

飯田:たしかにそういった装飾品としての効果もありますが、本はなるべく「開いてなんぼ」であって欲しいですね。ですから、人の手が届かないところに本を並べるレイアウトは、ちょっと苦手です。人が手に取れる、ページをめくれる、といったことに意味があると思うので。

頭のなかにいる取材者の存在

柚木:先ほどから話を聞いていると、飯田さんって質問に対しての回答速度が早いし、あまり考え込まないですよね。

飯田:それは、いろいろなことに関して、事前に言語化を済ませているものが多いからかも知れません。僕、自分自身との会話が多いんです。

柚木:自分と結構向き合っているということですか?

飯田:頭のなかに取材者がいるイメージです。例えば、スーパーに行っておそばを手に取るじゃないですか。すると、「どうしてこのそばを選んだんですか?」と質問が自分に入るんです。それに対して「パッケージが他と違って目立つから、気になって手に取ったんだと思います」なんて風に答えているんです。

柚木:声は漏れてないですか、外に?

飯田:正直、ブツブツ言っていることもあると思います。

柚木:5m離れたところから見てみたい。

飯田:自分への問いかけを始めたのは、大学受験の頃ですね。本を読んでいたこともあってか、現代文はある程度できていたんです。でも、問題によってはムラがあって。これを解消したいと考えたときに、「そうだ、もう一人の自分を召喚すればいいんだ」と思いついて。

柚木:頭のなかの取材者との付き合い、結構長いんですね。

飯田:自分が選択肢から答えを選んだあとに、もう一人の自分が「どうしてそれなの? 他の選択肢ではダメなの?」って聞いてくるんですよ。「それは、ここにこう書いてあるから……」と返していく。これが自分の思考を整理するのに役立って、そのうちすべての教科でも実践するようになりました。入試の際は、ずっと口のなかでモゴモゴとしゃべっていました。

柚木:相当怪しい人ですね。

飯田:それが習慣化されていったので、日常でも自分への質問癖がついているんです。常に自分をインタビューしているわけなので、こうして取材していただいた際も「聞かれて初めて考えること」は少ないのかも知れませんね。

すぐダメになっちゃうから。苦手なことへの耐性は低い

柚木:だからなのかな、飯田さんは自分にすごく正直ですよね。

飯田:あー、そう言われることは多いですね。特に、苦手なことへの耐性は低いと思います。

柚木:苦手なことへの耐性?

飯田:僕、ちゃんとした就活ができなかったんです。その理由は、着なれていないスーツで行動するのが苦手だったし、自分がよいと思った企業から何度もお断りされることを想像したら、きっと辛すぎて耐えられないと思ったから。「俺は就活なんかしないぜ!」なんて勢いがあったわけではなく、何枚も履歴書を書いて面接を繰り返す同級生を見ながら「みんなは本当にすごい、僕にはできない」と心から思っていました。

柚木:たしかに就活は心の強さがものを言う気がします。

飯田:だからですかね、僕、ひどく体調崩すことはないんです。ちょっと具合が悪いとすぐに休んでしまう。我慢しないから、大事に至ることが少ないのかな。

柚木:なるほど。「右にならえ」という空気もあまり好きではなかった?

飯田:そうですね。高校は帰宅部で、海沿いの学校でしたから一人でのんびりサーフィンをしていました。ただ、仲間たちと過ごすキラキラした青春にも憧れがあって、大学の入学と同時に広告系の大きなサークルに入ったんです。企業とのタイアップなども手がけていて、すごく楽しそうだなぁ、と。ただ、広告プランの発表会に出たときがしんどくて。発表の際に、みんなが声を上げながら机をたたくんです。

柚木:盛り上げるためのもの?

飯田:はい、「うぉー!」と言いながら、バタバタと机をたたく(笑)。僕も合わせてたたいていたんですが、「もう二度と、机をたたきたくない」と痛感して、結局サークルは抜けてしまいました。

柚木:それ、めちゃくちゃわかります。

飯田:たたきたい人がたたいているのは、いいんです。でも、そうしないとその場にいられないような空気感が、つらかった。自分の意思で自分を動かしてない感じが、すごく気持ち悪かったんです。

柚木:(笑)

飯田:それは、自分の弱さもあると思います。「これをしなさい」と命令されて行動するのは、とても苦手。でも、空気感というのは、絶対的に命令されているわけではないですよね。無視したっていいのですが、「サークルの仲間たちが嫌な思いをしたら、申し訳ない」と考えてしまう。

でも、そうした体験を経て、誰かに大きな迷惑をかけることがなければ、「こうしないといけない」という空気感には従わなくてもいいのかな、と思えるようにはなっていきました。初めの頃は参加していた就活の企業説明会でも、苦手なスーツは脱ぎ捨てて着慣れたパーカーで赴いて。僕がスーツを着なくても、誰かが死ぬわけじゃないし……。

柚木:僕が飯田さんの書く文章を好きな理由が、少しずつわかってきたような……。飯田さんのこのスタンスに起因してる気がします。

飯田さんの話にかなり強い共感を抱いたここまでの会話。子どもの頃の話を伺って、文章を書くこと、本に関わることをなぜ仕事に選んだのかがわかりました。後編では、仕事への向き合い方や今後のチャレンジについて話が展開していきます。お楽しみに。

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